After Mahikari...真光を離れて


「真光とお金」、総本山、と「火の洗礼」について




これは「真光とお金」を話題にして書いたものですが、総本山,「火の洗礼」にも言及しています。

では月々の霊線保持御礼に始まって、お浄め御礼、お玉串、ご守護御礼、祈願御礼、道場維持費、協賛、等、各種の奉納金が様々な機会に当然のこととして求められます。道場に着いたら、まず財布を出して、奉納金を準備するよう「しつけ」られます。

『えっ、 そんなにあるの?』と私も正直のところびっくりしました。でも、初級研修を受けてしまうと、あとに引けなくなるんです。真光ってお金のかかるところだなあ、と思うと、即、「それはお金に執着するからだ」、と習ったばかりの教えで自己叱咤してしまいます。「各自の気持ちで相応に」という言葉にすがっていくのですが、これがまたやっかいな表現。マインド・コントロールが進むにつれ、徐々に奉納金額も「自ら」増やしていってしまうのです。

初級研修開始時の受講者への決まり文句はこんなふうに始まります。
「これから、人類に今まで明かされていなかった正法をお伝えします。 ............... 今までの先入観を捨てて聞いてください。茶碗に古いお茶がはいっていると、新しいお茶は外にこぼれてしまいます。まず古いお茶を捨てて空にすることがたいせつです。また、茶碗は急須よりも下に置かないとお茶 ははいっていきませんよね。....... 」     
そう言われて、まじめに自分の心をそういうふうに準備してしまいます。教義を聞いていて、『そうかなあ? 本当かなあ?』と思っても、それ以上追求せずに、習った通りにやってみることになります。

金銭に関する教えで思い出すのは、
*お金は元々神から貸し与えられたもの、奉納はその預かりものを神に返すだけ
*奉納によって金銭への執着を取る
*奉納によって経済的に浄まる ー経済的禊ぎを自ら積極的にすることになり、あがないがそれだけ少なくなる
*富は天の倉に積め
*財は罪(え)に通じる
*浄まれば神仕組みがおきて神より与えられる人になる
*奉納で感謝の気持ちを表す ー「心で感謝』では足りない
*ただでお浄めを受けるのは盗人と同じ
*神のことでケチケチするな 
*教団のことを『金儲け主義だ」とするのは「邪神の魔語」で、邪霊・憑依霊に操られている証拠
*泥棒にあっても感謝、お金を盗られても感謝して、別にお金を用意して神に奉納しなさい
*いったん神に差し出したお金の使われ方に疑問や口出しはしない ー「神のものだから」ということで、一般信者から切り離し、教団の思うままに使えて、収支は公開しない

さらには、「ご神前にお金を奉納したら、同額のお金を会社(親、親戚)から頂いた」、といったような守護談・経験談を聞かされます。それに励まされ、奉納して、何も起こらなくても、神のせいではない。自分がそういう仕組みを頂くほど浄まっていないんだなあ、と自分で説明を見つけるようにさえなります。 この神やその教えを疑ったり、教えの通りにならなくて「ぐちったり」すると、邪神・邪霊につきいる隙を与えることになり、自ら慎まねばなりません。

奉納に関してはまた、まわりの人達がやっているのに、自分だけ手ぶらで神前に行きにくい、という状況があります。道場に行くとまず奉納の準備をしてから神前に行って、そこに置かれた大きい奉納箱にお金をおさめてからお参り、という順で行動しますから。

こうして自分が真光のやり方に慣れてくると、やがて何もわからなくてウロウロしている初めての人に奉納のことを教えるようになります。

「世の終末と火の洗礼が迫っている、一刻も早く世界総本山建立を」と声を大にして叫んだ岡田良一。 「急げ! 間に合わんぞ!」と、神よりお叱りを受けた、として信者をせかしました。その岡田の死後、甲子(恵珠)は世界真光文明教団より分派して崇教を設立。岡田の総本山への願望を引き継いで信者に最大限の奉納を要求。もちろん、「金を出せ、金を出せ」、と、文字通り連呼した訳ではありません。心のひだに巧みに入り込んでくる上記の思考誘導基盤が出来ています から、それを利用しつづければよいのです。「一刻も早い主座建立」は教団の最優先の目標でした。戦時中の標語をもじって、「ほしがりません、ス座ができるまでは」などという標語までありました。

『神殿なんか建ててどうするの?人類救済のほうが大切なのでは?』と最初思っていた私でしたが、 主の神と岡田との「契約」である主座建立が叶わなければ真光の業も取り上げられてしまうと信者は脅され、また、主座は地上天国化のために必要、それだけみ光が強くなって人救いの力が増す、とか、神がユダヤの民に神殿造りを要求した話、ユダヤ民族の放浪・迫害の歴史とその原因、等を聞かされ、やがて 『それで人類が救われるのなら』と本気で「思わされ」て、この熱気の渦に巻き込まれ、相当多額のお金を奉納しました。

ちなみに真光の黄金神殿のために、子供が貯めたおこづかいを奉納した、とか、国内・外で信者が住む家を売って、そのお金を寄付した、とか、公に取り上げて話題にしました。その陰で、借金してまで寄付して、財をなくした人達の話もささやかれてました。

1984年、世界総本山が建設されてみると、信者から搾り取った何百億円を注ぎ込んだだけあって、確かに贅を尽くした豪華な建物でした。貴賓室の灰皿一つとっても、庶民の私たちには想像もつかないような値のはった品物らしいです。式典を司る甲子が頭に飾る、あのキラキラ輝くティアラも、相当高価な品でしょう。

また、世界中のお金が日本の高山に集中して、この市は随分経済的に潤ったことでしょう。祭りの度ごとに参拝者が訪れるし。

信者の無料奉仕があるとはいえ、あれだけの建造物を維持するのにまた費用がかかるでしょうね。
総本山完成後の初級研修のテキストには奉納に関する説明のなかに『世界総本山奉賛」というのがあって、総本山の環境整備と拡充のための奉納を呼びかけています。


総本山完成後間もなく甲子は岡田のための奥津城建設を発表。
『えっ! また建物なの? それに岡田は総本山建立のあとには世界各国に本山建設を、と言ってたのに、なんで人間を讃える建造物にすりかえてしまうの?』と疑問に思ったことでした。
(おっと失礼、岡田は「人間」ではなくて、「神」にまつりあげられたのでしたっけ。そういえば彼自身も自分のことを神格化してました。)
『終末・世紀末思想」にあおられて、「人類救済は今をおいて他にない」とせかされて、「地上天国」の夢に踊らされて、熱い期待を寄せて奉納に頑張った信者たち。総本山へのその努力のあとで、気概の方も、財布の方も、くたびれてしまっているのに、無茶な話だと思いましたが、口には出せません。でも、それ以後、 私は奉納はほどほどにするようになりました。本当は奥津城のための奉納なんて一切したくなかったけど、周囲に合わせて、時々出しました。

奥津城完成にあたっての教示の中に

これから百年先,千年先までも『光神殿」が永遠にかがやきますことが取りも直さず人類の弥栄えを約束することになる訳でございます。 ーーー平成4年(1992)8月号

とあります。
では、総本山は何だったんでしょうか。
総本山は、岡田を讃える奥津城・記念館とともに、崇教真光のステイタス・シンボルで、その経済力を宣伝して、信用を得ようとするための、絶好の看板にすぎないのではないでしょうか。

ちなみに、1987年には世界真光文明教団が、1989年にはもう一つ、別の分派である神幽現救世真光文明教団が、それぞれの総本山を建てました。「すべての発祥地,日の元つ国」、日本に、少なくとも三つの別荘があるのですから、主の神の喜びはいかばかりでしょう。 

それでも「人類の危機」、「火の洗礼の急カーブ」、「数億万年目の”大転換期”が訪れている(平成6年、1994年)」と言います。火山の噴火があれば『神の怒り」だと言います。

1999年、何も起こりませんでした。今20006年。崇教では、甲子(教え主)が人類のために主の神に祈って、詫びているから、神が火の洗礼を延ばしているのだと、まことしやかに言っているのでしようか。新たな時期を設定して信者の不安をあおり、今も多額の奉納を促しているのでしょうか。SFの好きな信者なら、 UFOが出現して浄まった信者のみ引き上げてくれると解釈できるような教示を出しているのでしょうか。 

総本山完成後、21年以上になります。地上が『エデンの園」に向かっている気配はありません。それどころか、真光そのものが様々な問題を含み、また問題を引き起こしています。真光で 「健・和・冨 」を達成した、と言える信者、良き見本になれる人、何人いるのでしょうか。あそこで「真光の業」と称しているものは実は....という時代が来るかもしれません。「真光」が「魔ヒカリ」に名実ともになってしまわないように祈ります。

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ーーーー 火の鳥phoenix3000,
Japanese
Last updated : 7 May 2007