After Mahikari...真光を離れて


真光の世界とはーその5:ムー大陸、レムリア大陸





アトランティスも、ムーも、真光の世界では『実在した』とするものです。真光信者がそれを否認することは、『救い主』と呼んで讃えている、真光の教祖岡田光玉(良一)の説いたことを否定することになります。また、それらは、光玉が説いた通りに認識しなければなりません。

もし仮に、古代文明の遺跡らしいものが発見されたとしても、大きさや位置が違っていたり、時代や内容がずれていたならば、光玉が正しかったとは言えません。なぜならば、光玉は『古文献は非常に正確なものだった』と言っていますし、自分の言うことは、主神が自分を導いて示した事柄である、と主張したからです。『ピッタリと一致している』はずの事柄が、あちこちで事実と食い違っていれば、その人の言うことには距離を置いて聞くほうが賢明でしょう。光玉はまた、『私のコトバと業と教えを私の造り事と思う事勿れ』(陽光子祈言集P.61)とも言っています。ムー大陸は、チャーチワードが一連の本で描写したものであって、光玉が作ったものではありません。しかし、光玉は、自分の説に都合の良いように部分的に変えつつ、チャーチワードの説を『本当のこと』として取り入れ、アトランティスを交えての、『集団霊障』まで作り上げたのです。(「真光の世界とはーその3」参照)

ムー大陸について、光玉が説いたことを『神向き讃詞解説』で見てみましょう。

...最近ムー大陸の研究が本になって出ておりますが、これは日本を研究するのに非常に参考になります。それによると、ムー大陸は約一万二千年前に一夜にして太平洋に没したとあります。すなわち、日本の国の東の大部分がちぎれて、今日では太平洋に陥没しているのです。
太古においてはムー大陸とレムリア大陸というのがありました。レムリア大陸というのは、生物学の分布上からつけられた名前で、生物学者の地図ではムー大陸の前にあった大陸だとしてありますが、確かに、太古においては、太平洋も日本海も紅海もインド洋も陥没していない時代がありました。これらは、ムー大陸の研究が進んでかなりはっきりしてきております。

.....(略:「真光の世界とはーその3: アトランティス」で引用)......

太古の昔においては、ムー大陸はレムリア大陸と続いており、今日の日本とも一体で、日本海も陸で、シベリアの方まで続いていたし、また、東の方はアメリカ大陸まで続いていて、実に大きな大陸だったわけですが、そのムー大陸のうち、今の太平洋となっている部分が陥没をしてしまい、その断層が、アメリカの西海岸や日本の太平洋岸に出ております。陥没でちぎれて残った所が、逆に隆起したり、その当時の高山(こうざん)の頂上が海面上に出ていたりしていますが、今の日本の敷島の隆起にもなり、南洋群島や太平洋のマーシャル、カロリン諸島などになるわけです。(P.294 −296)


ここにはムー大陸の位置と大きさ、そして、レムリア大陸との関連が述べられています。ムー.レムリア、アトランティスを含めた世界地図が下記のテキストに見られます。

『祖師(聖凰真光大導主)御講述 中級 真光研修用テキスト:第二十三 有史以前太古の大陸 世界文明の流れの概略図』
『祖師(聖凰真光大導主)御講述 上級 真光研修用テキスト:第七 世界五大文明 五大宗教発生源とその流れ』

英語版「暴かれた真光」のこのページに行くと、真ん中あたりに、英語版ですが、地図を見ることができます。左端に書いてあるのは、Atlantis was developed by the people of Mu で、元の日本語版には『アトランティスはムー帝国が開拓した』とあります。

さて、ここで、レムリア大陸について、簡単に触れておきます。動物分布を調査していたイギリスの動物学者が、1874年、キツネザルの奇妙な分布を説明するため、マダガスカル島、南インド、マレーシアをつなぐ、幻のレムリア大陸の存在を想定したのが始まりで、この大陸の名はキツネザルを意味するレムールから採った名称である、ということです。(注1)この提案はのちに大陸移動説によって否定されたし、また、キツネザルの化石がその他の地にも見つかり、この仮想大陸説への関心が薄れたという説明も見つけました。(注2)

注1 参照:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0732.html 
注2 参照:http://www.yamaguchi.net/archives/000357.html 

このような大陸が仮想される以前には『レムリア大陸』というものは『太古の伝説の大陸』でさえなく、「先史時代の人々によって名付けられたわけでも、確かめられたわけでもなかった」ということです。
(参照:http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=104303&pg=200305 ------ 2003/05/29 レムリアの誕生・復活)
その大陸が、太古の世界地図に現れる、ということ自体がおかしいのですが、光玉は、ムーやアトランティスとともに『実在したもの』として扱い、研修テキストの世界地図にも載せた、と言うことが出来ます。

今度はムー大陸について見ます。

光玉の説明では、日本はムー大陸と繋がっていて、日本はムーだった、と言っています。が、チャーチワードによって描かれた地図では、日本はムー大陸の一部でもありませんでした。それを無理矢理つなげようとするためでしょうか、事実を述べているといった口調ではあるけれど、どうもこじつけのような説明がちらほらと見られます。チャーチワードのムー大陸の地図はここで見ることができます。この地図が示すムー大陸の西は日本には達していませんし、東の端もアメリカ大陸に達していません。真光の研修テキストの世界地図では、ムー大陸の西端は日本まで延長してあり、東の端はアメリカ大陸との空白を埋めるべく、仮想大陸レムリアが目一杯に大きく描かれています。こんなことで、ムー大陸の断層がアメリカの西海岸に出ているなんて、変な話です。それに、もしムー大陸の断層がこれらの海岸に出ているのなら、調査して、その断層を見つけることはそう難しいこととは思えないのですが。

上記の『神向き讃詞解説』よりの引用部分に、下記の引用も加えてみましょう。

また日本の古文献では、釈尊が日本に来ていることが記されており、現実にその証拠もありますが、ムー大陸の研究からも、この点が一層はっきりしてきています。そうすると、太古の古文献というのは非常に正確なものだったということもいえるわけです。

ムー大陸が陥没した後の太平洋には、マーシャル、カロリン等の島々が点在していますが、これらはムー大陸の陥没した山の頂上が残ったものであることが発掘物で証明されだしています。

これらの島々から出たいろいろな証拠によって、当時の文明や信仰がわかってきておりますが、  .....(略)... 当時は石の文明でしたから、石板とか石碑または粘土版が何千と出てきていますが、それがアメリカの西海岸から出たものと同じようなものであり、またビルマあたりや日本から出ているものと同様のものが多くあり、しかも石に書かれた文字も同系統のものであることが明らかです。したがって、これらの発掘されたものを総合すると、アメリカ西海岸からビルマの方にわたっては、一連の文明があったことがわかります。  (P.297−298)

ムー大陸自体は、一万二千年前から一万八千年前に海底に沈没しておりますが、その沈没したムー大陸当時の石板等に出てくる文字は、日本の神代文字から出ていることがいずれ実証されることになるでしょう。(P.200−201)

日本の古文献を見ますと、日本は元ミューといっておりました。ところが、ムー大陸のムーは MU (MOO)と書いてムウと発音していますが、これはまたミューとも読めます。結局同じことで、日本の太古文献でミューといっていた日本はムーだったといえます。そのムー大陸の一番北の端が、三保の松原(静岡県)になり、ミユが転じてミホとなっているという関係があります。(P.296)

....私がこれまで「ネパール人というのはコンロンのシュメール王の血統で、後にアーリア人となり、インド文明を興している、そして一番始めは、シンドウの国といった、それが月氏国から今日のインドになっている」と言ってきたことも最近のムー大陸と経文の研究によって、実にはっきりした裏付けができたことになります。(P.400)

....超古代においては、人間は、霊性においては神人、ついで半神半人、超人的時代がありました。しかし、唯物科学の面では未開発でした。未開発といっても、すでにムー大陸の研究などから明らかなように、ある部門では現代文明より進んだ科学文明をもっていた時代があったということが判明してきています。そのことからみれば、現代の唯物科学文明をもって得意とする訳にはゆきません。その再生者人間だったから、現在異常なまでに唯物科学(仮科学)が進歩したといえるのです。(P.573−574)


『太古の古文献というのは非常に正確なものだった』『現実にその証拠がある』『発掘物で証明され出している』『ムー大陸の研究から明らか』『実にはっきりした裏付けができた』『-----が判明してきている』等、光玉は自信をもって、明瞭に述べています。しかしながら、光玉の描く真光の世界から一歩踏み出して、現実の世界、特に二十一世紀にはいった今の時点でこの件を見てみましょう。

『古代ムー大陸』の初登場は一世紀半ほどさかのぼった、19世紀のことのようです。元英国陸軍大佐を自称するジェームズ・チャーチワードが1931年前後に一連の『ムー大陸』に関する本を出版しました。光玉が受け取ったとする『最初の啓示』が1959年、現在2007年です。もし、光玉の言うように、現実にその証拠となる発掘物があり、チャーチワードの話が本当である、と判明してきたのなら、世界の大半はその実在をとうに認めていることでしょう。

現実はどうでしょうか。

ムー大陸の存在が『明らか』になるどころか、逆に、地質学的にはそのような大陸の存在した可能性はなく、チャーチワードが引き合いに出している『証拠類』は、信憑性がなく、彼の話は創作である、という見方に落ち着いています。残っているのは、古代文明の幻想に人間が抱くロマンの部分でしょう。

少し具体的に見てみましょう。どんな模様の類いでも、チャーチワードの手にかかると、ムーの記録だということになってしまった、彼が傍証として上げている資料を見ると、『トロアノ古写本』は実際には『ムー大陸』とは何の関係もない、天文学書だったと判明し、『ラサ記録』は捏造である、とわかり、イースター島の碑文は現在でも充分解読されていないのに、それからの『引用文』まである(注3)、彼の語り口については、彼が見たとするインドの粘土版と、メキシコで発見された石板に書かれていたことを、ムー大陸があったころの記録文書と見立て、仮説というよりも妄想に近い、「見てきたような説得力」をもって"詳細"に申し立てている、とあります。(注4)

注3 参照:
http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/dic/mu.html
http://www.nazotoki.com/mu.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・チャーチワード

注4 参照: 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0732.html

光玉とチャーチワードを比べてみると、両者とも、経歴詐称の問題があるし、確たる証拠もないのに、裏付けがあると言い、チャーチワードは『見て来たように』詳細にムー大陸を描いて見せている一方、光玉も『霊界・神界・神霊界を見て来たように』あれこれと詳細に説いたし、これらの面では両者とも似た者同士です。光玉が、チャーチワードの話法にすっかり乗せられて、自分の虚構の世界に取り入れた様には、光玉がしばしば好んで使う動物名を借りれば、タヌキがキツネに乗せられた図が描ける、と言ったら言い過ぎでしょうか。


ーーー火の鳥Phoenix3000

Japanese
Last updated : 19 October 2007